HISTORY 社会人時代 ★ダークサイドバージョン★
はい、本ネタの前置きが長くて萎えないでくださいね。
エヴァンジェリストのかとうです!
今のところはまだこの肩書きでいっていきたいと思います!
付け加えておくと誤解のないように説明すると、エヴァンジェリストというものは元々キリスト教における伝道者みたいですが、今の意味では良い知らせを伝える人と思ってください^_^
では、社会人時代の話を書きます。
専門学校を卒業すると就職をします。
期待と不安を抱えながらも将来的に出世をして
幸せな家庭をつくるぞー!オー!!!と頭の中で妄想を膨らませていました。
ただね、最初に思い描いていた明るい未来はそこにはなかったんです。
やはりどこにもなにかしらの暗黙のルールがあり俺が働いていた会社では、新人が上司の三倍働いて仕事は見て覚えろ!と言われてそれで萎縮をしそれに従うしかありませんでした。
休みはとりずらくいつも上司の目を気にしてばかりでした。
そして、自分は一年もその会社で続けていない中で途中こんな心の声が聞こえてくるようになったんです。
"自由になりたい! 俺は何をする為にここで働いているんだろう。 何の為に生きているんだろう。俺はなんだ? 親にも会社からも自分の人生を決められもう嫌だ!"
他にも色々あったんですが、中学の時に習得をしたポジティブシンキングだけでは全然ダメダメだったんです。 メンタルボロボロ、身体も疲労感が抜けない日々。俺はどうすればいいんだ。よし会社辞めよう!
次回 は 社会人時代 東京へ
HISTORY 専門学生時代
お馴染みの俺のHISTORYシリーズの今度は専門学生時代に入ります。
小学生時代には書ききれなかったんですが、
両親の離婚は父親のギャンブル癖による借金が原因でした。
その時に出来上がった判断基準があります。
人生お金 お金があれば幸せ お金があれば安心
お金にまつまる考えがでまくっていました。
それもあり普通専門学生になるのにも、お金がかかるところですが、そこは教科書代だせば済むところでした。(但しかなり勉強しないと入れないところでした。)
ただね、俺は高校生時代の彼女を作るときみたいな動機で専門学校を選んでしまったんです。
それは、お金がかからないから。以上でした。。。
自動車系の専門学校だったのですが、周りの人達は勿論車が好きだから勉強熱心。
因みに俺はそもそも学校に入るのに、あんな動機だったからクラスの人との会話についけいけないんですよw ただ強いていうならこのご時世手に職就いたら安泰と思ったというのはありましたよ。
その当時はまあ地獄でしたw
自分が何をやりたいかわからなく方向性が定まっていないからこんな結末でした苦笑
当たり前の事ですがこれを読んでる読者さん、方向性定めるの大事ですよ!
次は社会人時代へ
続く
HISTORY 高校生時代
それでは続いて高校生の時代を書いていきたいと思います。
今回のグラビドン(重い)な内容になるかもしれませんw
高校生になってからは当時は俺にとっては、
凄く楽しい日々が続いていました!
両親が離婚してからは、母親に自分含めて3人兄弟を育ててもらいもちろん小遣いなんてなかったです。何か必要な時にだけお金を使う日々でした。(ただ今となっては食べさせて育ててもらい感謝しています。)
その事もあり、高校生になってから授業が終わり次第、あとは休日はバイトをがっつり入りお金を貯めていくことにより心が安心しました。
なので、普段は時間が空いたらバイトという感じで、遊ぶことはほとんどなく、友達から誘われても遊び下手な事もあり恥ずかしいと思う事もありました。
そして、その頃も未だに人の目を気にしているのもあり、同級生のなかでは何人付き合ってきたかというのがステータスみたいな風に解釈していたのですが、その理由で高校生で初彼女ができました。(この理由で付き合うという事は申し訳なく思います。)
そんな理由で彼女はできて、途中までは楽しかったんです。 ですが、途中で悲しい事があり、その時の彼女のお母様が病気で亡くなり、その話を聞いた自分としては頭が真っ白になりました。通夜にきてくれない?と言われたのだけど、俺はびびってしまい、学校休めないから行けなくてごめんねと言ってしまいました。
そう言ってしまった後に彼女にどうもしてあげられなかった無力感と自分のどうしようもさに後悔が生まれました。その後に腹の底から思ったのは、
"大切な人に何かあった時に力になれる自分になりたい!"
と、強く思いました。
それから彼女とは別れ高校卒業したら自動車系の専門学校へ。
続く
HISTORY 中学生時代
つづけて中学生時代に入ります。
小学生時代の話の記事にも書きましたが、両親が離婚をして引っ越しをしたところからの中学生時代の話になります。
俺は凄い酷い奴でした。
離婚する前の住んでいた場所は割と都会だったのに対して引っ越し後には田舎へ。
で、そこでまず俺は田舎=ヤンキーが多いというイメージがありました。そこでヤンキーとは絶対に口を聞きたくないと思い軽蔑をしていました。
それを同級生に話したらその噂が広がり実際に話した事のない人でさえ自分を睨みつけてくるように見えていて恐怖の日々でした。
当時は本当に地獄の日々で自分が招いた現実なのに自分が苦しんでいるというギャグみたいな事がおきましたw
そんな辛すぎる俺はどうやり過ごしてきたかというと、
休憩中は仲の良い友達の輪の中に入る
休憩中に寝たふり
学校の用が済んだらすぐに帰る
あとはこれが一番だとは思うんですが、中学生にしては尋常ではないほどのポジティブシンキング 自分の道徳感 哲学感の確立がメインだと言えます。
中学生だけどストレス過多ではげるんじゃないかと心配だった中学生時代でした!
次は高校生時代の話になります!
HISTORY 小学生時代
認識の変化によってより良い人生を作っていくための情報を発信していく、エヴァンジェリストのかとうです(o^^o)
今はその肩書きでやっていきたいと思います!
それでは今まで俺はどんな人間だったのかを説明していきたいと思います。
俺は小学校低学年までは感情豊かな少年でした。先生に怒られては逆ギレして暴れる程のエモーショナルな少年でした笑
しかし、両親の喧嘩が毎日続く日がありそれから怒りの感情をぶつけ合う事を見た俺はその時から怒りの感情は出したらだめなんだと無意識に刻まれ大人しくなってきました。それをきっかけに自分の意見を口に出さない、感情を出さないと言った不思議くんという奴になりました。
それから小学生5年生になると、両親に離婚をすると告げられ学校の転校も引っ越しも一週間後にね!と告げられました。
離婚して引っ越しをしたら小学校が3校目になるんです。
今思い返すとその当時は小学生にしてはストレス過多な日々でした。。。。
周りの人と一緒がいいと思っていた俺としては離婚している家庭の子供である身としてはすごく恥ずかしい存在だと思っていました。
違っている事が恥ずかしい、転校生という特別な目で見られるのが恥ずかしいなど周りの目を気にしていてばかりで基本は人に愛想をふりまいてばかり。苦しくても作り笑顔。
で、友達は勿論できるんです。ただ友達とつながっていく道具としてはゲームがありました。
ゲームしないと話にもついていけないし、新しい環境になじめないというイメージがあり友達から嫌われないように友達の輪から外されないようにと必死なサバイバルな日々でした笑
自分がそういう風に認識をしていたって話。(友達サイドがゲームありきで付き合ってくれていたことはないとは思います。)
ここまで悲観的な話が主にあったとは思うんですが逆に嬉し事、喜ばしく思える事もありました。
まずは沢山友達がいたわけではないですが、良い友達に恵まれた事。
あとは自分でも独自なマイワールドがあってその妄想を具現化できたらいいなというところがあり、算数で先生が教えていない独自計算法を編み出して先生に伝えたらクラスのみんなの前で褒められた事ですね。
あとは意識して人を笑わせようとせずとも場を和ませ笑ってもらえる存在であった事です。
短くまとめると小学生時代の話はこんなかんじです!
続きは中学年時代の話になります。